ふぁぁのブログ

父が子に贈る人生において大切な〇〇

空気の正体

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ゆうたとひなへ

 

今日は、ひとつ面白い体験をしたから、それに紐づけて「空気」とは何かについて伝えておきたいと思う。

 

「空気」といってもいわゆるO2(酸素)の事を言っているのではないよ^^;

念のため。

 

いわゆるその場に感じる雰囲気の事。

最近じゃその場の空気を読めない人は「KY(空気・読めない)」なんて言われるようになって、それに対する賛否まで議論されるようになった。

 

豊かになった証拠だね^^

 

その空気について、話してくれた友人がいた。

とあるセミナーを通じて繋がった友人だ。

とっても勇気があって、正義感にあふれていて、それを鼻にかけるでもなく自然体でそれができる人で、ふぁぁがお手本にしたい人の一人だ。

その彼が、「なんか、それをするのが当たり前みたいな空気になっていたんだよね・・・」

って、言ってたんだよね。

 

今日は、その空気の正体について紐解いていきたい。

 

まずは、その時のエピソードだ。

 

ふぁぁとそのふぁぁの友人も一緒に受けていたセミナーで、ある課題がでた。

その課題はみんなで一定条件をみたした上で、33のチームを作りなさいっていうものだった。

 

その中で、チームの決め方に対する意見が分かれて、ざっくりいうと、人数は少ないけど発信力や影響力の強い人が掲げる「A:チームメイトを選びたい!」の意見。

もう一つは、人数は圧倒的に多い意見なんだけど、発信力や影響力の弱い人が掲げる「B:ランダムに分けた方が公平でしょ!」の意見。

 

みんな同じ受講生だからトップダウンでは誰も決められない中で、あちらこちらで、意見がぶつかり、WEBの中でのやり取りしかないのに、場の空気は重たかった。

 

「A」と「B」はいつまでも正解のない答えにぶつかり合い。

与えられた33チームをみんなでつくるという課題が達成されるイメージをなかなか持てずにタイムリミットだけが近づいてきていた。

 

そして、少人数にもかかわらず発信力の強い「A」の意見に場は傾いていた。

水面下で既にいくつかのチームすら出来上がり始めていた。

 

そこへ「A」でもない「B」でもない、「C」案がそれまで全体をオーガナイズしていた非公式のチームから提示された。

 

それは、まず、Bの意見を尊重して、ランダムにふりわけましょう。

その後、課題達成のためのルールのもとで、メンバーの交渉によるトレードをしていくAの意見を踏襲したもので、既に一旦ゴールした状態から始めようというものだった。既に可視化された一つのリスト(ゴール)が出来上がっていたけれど、どちらの意見も入ってはいるけど、どちらの望むものでもなかった。

 

でも、そこで、場は一気にそのC案へ傾き、多くの人が賛同をして、よーいドンを言うでもなく、初期設定されたリストの中で、それぞれに交渉を行い始めた。

 

その時、どちらにも葛藤があったはずなんだよ。

 

Aの意見の人は既に固めたチームを一度解散するのは、簡単な選択じゃなかったはず。

それまで、ランダムがいいって言っていた人たちにお願いをするのはとてもハードルの高いことだったと思う。

Bの意見の人は、ランダムに決められたのに、交渉を受けて転籍をすれば、自らが主張していた公平性と思うものは得られない。

それでも、その交渉に応じ、転籍をした人がたくさんいた。

 

それでも、最後、なかなかWEBに入ってこれない人もいて、メンバーが固まらない、いくつかのチームがでてきた。

そのチームの為に、全く違う意見だった者同士が一つのゴールに向かって、固まらないチームを固める為のエールと行動をおこしてくれていたんだよ。

 

最終的に、全てのチームが合意形成を経て、195人もいた人たちが一つになって、リミット内に課題をクリアして、全員でそのミッションを達成できたんだ。

 

その中でたくさんのドラマがあって、それを見ていてふぁぁは感動した。

話したい事たくさんあるけど、今日は、まず空気の正体にフォーカスするよ^^;

 

このエピソードの中に実は空気の正体がいたとふぁぁは思う。

 

まず、少人数にもかかわらず、場の空気を引き寄せていたAの意見。

そして、トップダウンではないけど、双方の意見を組み込んだ提案をした非公式の統治ロールを担っていたチーム。

 

彼らが空気の正体だ。

何を言いたいかというと、空気の正体とは、平たく言うと

 

「その場におけるキーマンの気分」だ。

 

はぁ?と思うかもしれないので、もう少し紐解くよ。

 

まず、Aの意見は少数だけど、影響力も発信力もある、場におけるリーダーシップをとれる人達の発言だった。

だから、少人数にも関わらず、場の空気を自分たちの意見に持っていく事ができていた。場におけるキーマンだったんだよ。そこまで。

 

ただ、そこへ、それまで中立を保ちながらみんなの意見の取りまとめをしていたチームから、「これができる最後の提案です」という、覚悟がこもったみんなでゴールに向かう為の提案がなされた。

 

ここでパラダイムシフトが起こった。

 

そこに関わる人達の中で、キーマンが変わったんだよ。

 

もともと、みんなが意見を言いやすいように、中立的な行動をしてきていた彼らには信頼残高があった。

ただ、その中立性故、場のキーマンにはなっていなかった。

それが、なんとか全員で・・・という想いを乗せた提案で均衡がくずれた。

 

そして、そのキーマンがするお願い「自チームが固まったら、みんなで他のチームのサポートをしてあげて欲しい」っていう発信に呼応するように、それまで、意見の対立を繰り返していたみんなが、「互いの為に何かしよう!」という場の空気を作っていった。

 

これが、冒頭にふぁぁの友人がいっていた「そうする事が当たり前の空気になっていった・・・」って、感じていたこと。

 

このエピソードの中で起こっていたメカニズムなんだとふぁぁは思う。

 

こんな事は実は日常にもあふれている。クラスで集団でするいじめがありました。

でも実は、いじめている子を嫌いなのは、その中における一人のキーマンだけだったりして、みんなそのキーマンの気分に引っ張られているだけ。

 

職場でもそうだ。

別に社長や部長でもないけど、影響力のあるお局さんの気分一つで、職場の空気がよくも悪くもなる。

 

我が家においての「神」=もぁのご機嫌が斜めだと家庭内の雰囲気がどん底になるでしょ^^;

 

全部同じメカニズム。

 

だから、どうということではない。

エピソードにおけるAがよいも、Bがよいも、はたまた、Cがよいもない。

 

ただ言える事は、その空気の正体がわかっていれば、読むべき空気と読んではいけない空気がある状況下やよりよい空気をつくる為にどうしたらよいか頭を抱える時、自身の行動の選択を助けてくれる。

 

上記したエピソードには、実は他にもたくさんの気づきや学びがあった。

また、どこかでフォーカスを変えて、君たちに伝えられたらと思う^^

 

過去に誰が死んでもその先の世界は回るっていうような事を言ったけど、君たちが歩んできた今は、世界の誰が欠けていても訪れていなかった今だ。

 

だから、その事実を決して忘れることなく、上記した「知」を正しく使って、自らがよりよい人生を歩むことはもちろん、周囲の人のよりよい人生の手助けをしてあげられる人になっていってほしい。

 

素敵な誰かとのエピソードが君たちから聴ける日を楽しみにしているからね。

 

ふぁぁより

喪失と獲得の表裏  

 

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ゆうたとひなへ

 

いつだったか「私たちは名前もしらない誰かのおかげで当たり前だと思っている日常を送れている。」そんなメッセージを残したと思う。

 

ふぁぁはね、それをこれから先の人生における自身のビジョンに組み込もうと思う。

 

きっかけはとあるセミナーに申し込んで、その中の勉強会で講師の先生に送られた言葉だったんだけどね。

 

それまでふぁぁはこんな言葉で自身のビジョンを唱えていた。

 

「多きを持つ者が少なきしか持たぬ者に対し、当たり前に手を差し伸べる社会を実現する。」

どう?かっこいいでしょ。

 

これはね、ふぁぁがデンマークで培ってきた経験を素にして言語化したものだった。

これと付き合っていたのは12年間かな。

会う人会う人に向けて発信していたよ。

 

みんな「素敵な考え方ですね。」って共感してくれていた。

その度にふぁぁは安心していた。

日本に帰ってくる人生を選択したふぁぁの正当性が証明されているような気がしてたんだよ。

 

でもね。セミナーの先生から「お金がないとか、不足を補う目的は、本当の自分の目的じゃない。自身が本当に叶えたいワクワクする事を目的にしてください。」

って、言ってくれて、自分を振り返った。

 

「おれは、これをデンマークで生きる人生を選択していた時にビジョンとして掲げたか?」

 

答えは否だった。

 

あの国にあって、この国にないものを選択していたんだよ。

 

そもそも、多いとか少ないとか優劣があるのか?当たり前ってなんだ?社会って何を指しているんだ?

 

掲げたビジョンから「お前は、だれだ?」って突き放されて亀裂が入ってガラガラ崩れていった。

 

コアにしていた思想の『喪失』だった。

 

そこから一生懸命に本を読んで、必死に考えた。

とある本と出会えて新しいビジョンを掲げる事ができるようになったんだよね。

 

それはね

 

「全ての人が名前も知らない目の前の人に感謝を届けられる豊かな暮らしを創造する。」

 

ふぁぁの新しい恋人だ。

 

不思議なものでね。

これを手に入れるまで、何が起こっているか何も考えられなかったんだよ。

12年間付き合ってきた自身のビジョンとの別れがあった事に。

 

でも、新しいビジョンを言語化した時に、ボロボロ泣いた。

新たな『獲得』があったにも関わらずだ。

その感情を選択するとかしないとか、そんな俯瞰を挟むスキすら与えてくれなかった。

電車の中でも、歩きながらも、嗚咽しながら人目もはばからずボロボロ泣いた。

これを書いてる今も少しウルウルしてしまう。

 

この国に帰ってきた事を正当化する理由になっていたものを失って

 

12年間もなにやってたんだろう。。。

帰国を選択した後に死んだ友人もいて、その人達の墓参りさえろくにいってないのに。。。

 

別に世界はいつもと同じように回っているのに、ふぁぁの世界では全身を駆け巡るざわつきがあった。

 

新しい獲得があって、はじめて喪失を認識したんだね。

これまで、獲得の瞬間にこんな気持ちで感情が動かされることは一度としてなかった。

素晴らしい体験をさせてもらったとふぁぁは思う。

 

だから、この12年間付き合ってくれたビジョンに「ありがとう」って思うよ。

そして、これまでその言葉に共感を抱いてくれた人たちにも「ありがとう」って伝えたい。

 

きっとふぁぁがあの国を「もう卒業した国だから」と足を踏み入れようとしてこなかったのは、どこか、本当には卒業できたと思えてなかったからではなかろうかと思う。

 

不思議なもので、今、あらためて「デンマークへ行ってみよう。」って思うよ。

今度は、目指す世界としてではなく、ただ、友人に会いにいくように。

 

今は、あこがれや目標、ビジョンではなく、ひとしくあの国と付き合えるような気がするよ。

 

感染症でざわついている世界が落ち着いたら一緒に行こう。

 

人生は獲得と喪失の表裏に満ちている。

何かを得るという事は、ない状態を失う事だ。

そして、何かを失うという事は、得るチャンスを獲得する事。 

 

その中で、君たちがたくさん感情を動かせると信じている。

それは、君たちが豊かな人生を送っている事の証明だ。

 

そんな出会いに満ちた素晴らしい人生を送るに決まっている君たちの父である事をふぁぁは誇りに思っているよ。

 

ふぁぁより

成長に必要な4つの階段

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ゆうたとひなへ

 

君たちは今、どういう経験を背景に今日まで生きてきただろうか?

もぁの愛情とふぁぁの適当さの間で、また、友人や先生との関係の中で、いろんな事を身に着けながら、成長を重ねてきていると思う。

 

ただ、成長とは一体なんの事を指すのか?

この定義は意外とあいまいなまま使われている。



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伸びる事とか大きくなる事というようなイメージは誰にでもつくだろう。

 

身体的に背が伸びるとか、体重が重くなるとか、見える世界における成長は現代では、あまり多くは語られない。

 

成長を語る時、それは、どちらかというと心の在り方や知識、人の内面的な見えない世界に対して語られる事の方が多い。



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それ故、人それぞれに定義は違うと思う。

でも、ふぁぁは「成長」とは、「自己」の「質(たち)」を伸ばす事と定義している。

 

そして、人は、死ぬまで成長し続けられる。

そんな風に思う。

 

生物である以上、どんな人も背が伸びるとか、筋力がつくといった身体的な成長はどこかで高どまりする。

でも「心」にそんな事あるのかな?。

人の持つ精神世界はどこまでも伸ばせる。

そう考えている。


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そして、みな、それぞれに違う遺伝子をもって、得手不得手が少なからず存在する。

 

不得手な領域を伸ばしていく事はもはや苦痛でしかないだろう。

 

だから、得意な事。

 

自然な自分の延長でその枠を超えていく事が望ましい成長なんではないかなとふぁぁは思う。


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その方が「成長=幸福」という図式が成り立ちやすい。

 

ただ、得意な領域においても、成長をする時、必ず人は痛みを伴わないとそれは心に残らない。

そんな痛みを伴っても、全ての努力が必ず実って成功につながるとも限らない。

 

それでも成長が幸福につながらなければ、成長に向けた努力自体が報われなくなる。

 

そんな思いでふぁぁは、成長を「自己の質(たち)」を伸ばす事と定義している。

 

誰かが用意してくれる正しい答えがあるわけではない。

 

何をもって成長かという画一的な答えはない。

 

一方で、ふぁぁは、成長に順番はあると思っている。


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           ④無意識有能

        ③有意識有能

     ②有意識無能

  ①無意識無能

START

 

この順番だ。(階段っぽく見えるかな?)

①無意識無能

 何にも気が付いてないし、意識もされていない。だから行動も起こさない状態。

②有意識無能

 何かに気が付いたけれども、行動には移せていない状態。

③有意識有能

 何かに気が付いて、それを行動に移せている状態。

④無意識有能

 何も考えなくとも、それが自然と行動に移せている状態。


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例えば、いつの頃か、家事をやるようになった事を覚えているだろうか?

 

ふぁぁは、最初、そこに課題感を感じてすらいなかった。

これが、①の無意識無能の状態。

 

ところが、それを気づかせるような事が何度か続いた。

いつも、自分のパンツがない事やふろ上がりのバスタオルがなかったり・・・

ゴミ庫はいつもいっぱいだったり・・・

 

カクテルパーティー効果やカラーバス効果と呼ばれる心理的なトリガーで、ひとつの気づきは、目的を帯びて次の気づきを与えていき、よくよく見るといつも部屋が散らかっている事にも気が付いたりした。

 

最初はそれにイライラしてた。

君たちやもぁの事を責めるような気持ちも持っていた。

これが②の有意識無能の状態


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ただ、その君たちに向けていた心の指先を自らに向けて、自分でそれをやるようになった。

「そんなコントロールしようがない事を考えてないで、自分が変わればいいんだ…」

ってね。

君たちの事もあれ手伝って、これ手伝ってとちょこちょこお願いしたりもしながら、自分でその課題を解決するようになった。面倒くさいな・・・と思いつつ。

これが③の有意識有能の状態

 

気が付くと何のわだかまりもなく、外から帰るとすぐ洗濯機を回したり、食器洗いをしたり、ゴミを捨てる事から始めるようになっていた。

これが④の無意識有能の状態


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この行動と心の変化の過程では、「なんでこの子たちはとっちらかして、そのままでいられるのだろう?」とか指先を君たちに向けている時期もあった。

 

けど、その都度、「自身ができる事はなんだ?」と自身に問いかけながらも、親として君たちに考える力を身に着けてもらう為に「なんで?」と問うようになった。

 

ふぁぁは、それを家政婦さんに頼む選択だってあった。


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でも、ふぁぁの君たちの「父」という「質(たち)」を考えた時、生産性は低くとも自らがやる事に意味があると思った。

 

成長ってなんだか大層なもののように聞こえるけど、ドラマのような劇的な展開の先にある経験値によるものではない。

 

いつも日常にあふれている。

 

この構造がわかっていれば、気づかないと始まらない事が理解できると思う。

 

高いアンテナや欲求こそが、成長の入り口。

 

そしてよく覚えておいて欲しい。

この変化が君たちの中で起こる時、それは周囲にも影響を与える。

 

そして、それは、君たちにとって望ましい変化とは限らない。


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君たちが②の段階に入って、③の段階に移ろうとした時、周囲は必ず③から②へ、②から①へ連れ戻そうとする。

 

その人達は、君たちが②③のステージに行った事で否応なしに①から②に引き上げられる。

 

人間は、意識していなければいけない状態の②③を「不快」に感じるから、そこから「快」の方①に連れ戻そうとする。

 

変化を嫌がるの。

いつもの状態が楽。

そのままいた方が心地いいから。


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④の領域まで行ってしまえば、何のことはないのに、そこまでの変化をするのは大変だから、手っ取り早く、目につく君たちの足を引っ張ろうと「快」を取り戻そうとする。

 

「やめとけ、やめとけ」「どうせ時間の無駄だから」ってね。

 

彼らは君たちを見ていて自分が苦しくて仕方がない。

そして、君たちが違うステージに行ってしまうのを妬み、おいていかれる不安に取りつかれる。


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彼らの話に耳を傾けて、階段を下りるのか、たしなめながらも階段を上るのかは、君たちの心が決めればいい。

 

ただ、自身が成長を志した時、みんながそれを喜んでくれるなんて思わない方がいい。

 

周囲でそういう動きが起こる。という事を知っておいて欲しい。

 

それを知っているだけで、心を下に向けず、どう対処するかを考える事ができるはずだから。

 

何度この階段を上り下りしてもいい。


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ずっと階段を上り続ける事が君たちの人生において価値のある事ではない。

 

降りてしまっても、また、上り始めるプロセスが君たちの人生を豊かにしていくから。


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君たちが何度も上り下りをして、豊かな人生を送ってくれる事を心から願っている。

 

ふぁぁより

『教育』の本来の役割

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ゆうたとひなへ

 

君たちはこれを人生におけるどの段階でよんでいるだろうか?

中学生?高校生?大学?社会人?

家族がいて、子供がいたりするだろうか?

どのステージにおいても、これから記すことは、自身の人生においても、自身の子供に対する教育においても大事にしてほしい。

 

人は一生学び続けなければならない。

 

これまでの社会においては、ある一定の若年期が教育期間という認識が通説だったかもしれない。


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けど、それ自体が偏った見方で、人は死ぬまで成長を続けることができるし、それこそが君たちが生き続ける理由の一つかもしれない。

 

なぜなら、得た学びは誰にも奪われることがない、最高の財産だからだ。

 

どんなにお金を稼いでも、土地をはじめとされるバランスシートに乗ってくる資産でも、自身が愛情を注いできた家族や友人といった人脈、見える世界のそれは、私たちは死という機会と同時に手放さなければならない。


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しかし、学びだけは誰にも奪われない。

 

「これが完璧な人生」という100点の正解なんてものはない。

それでも、よりよく生きるために知っておくべき理(ことわり)はある。

だからこそ、少し教育という事について、大事な〇〇を話しておこうと思う。

 

まず教育以前に私たちは、なぜ生まれてきたか?

 

いくつかの答えがあるけど、ここでは、一つだけ紹介しておく。

 

それはね、『種の継続』というプログラムが私たち人間には施されているからなんだよ。


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???

 

(*´Д`)ハァ?と思うだろう。

 

ただ、これは、まぎれもない真実だとふぁぁは思う。

 

というより、そうでなければ説明ができない。

 

君たちがそこにいて、ふぁぁがここにいる事が何よりの根拠だ。

 

そのプログラミングがなされていなければ、人類は既に絶滅していたはずなんだよ。

 

人類より遥かに強固なマンモスや恐竜は、気候変動に負けて絶滅した。

 

一方、人間は力を合わせるという知恵を身に着け、寒さをしのぐためにどうするかという知恵を身に着け、自分たちより強固な生物さえも絶滅した地球環境の変化を乗り越えてきた。


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そしてそれは、言葉を使った教育という語り継ぐ事が脈々と行われてきたからなんだよ。

これらは生きる上での大切な前提。

 

だからね。教育を語る上でまず大事なのは、

『子供の頃に自分がしてもらってよかったことを、自分たちの子供にしてあげなさい。』

 

いわゆる教育と知恵を伝承していきなさい。

 

つまり『教育するという事を教育する』

先に話したみたいに語り継がれなければ、私たちに施されているはずの『種の継続』は途絶えるんだよ。


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そして、その戦わなければならない相手と戦い方は、時代によって異なってくる。

 

日本が少子高齢化に至っているのは、この自分たちが生み出している時代の変化についていけなくなっているからだとふぁぁは思っている。

 

言葉を選ばずに平たく言うとバカになっている。環境に負けている。

 

そこから、脱するには教育しかない。

 

ただそれは、国語、算数、理科、社会を覚えるという事ではない。

 

生きていく為の知恵をひねり出す力をつけるという事。


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まず、『Whyを繰り返し、自ら考え、答えを導く力をつけさせる』

 

多くの親が、「〇〇しちゃだめ!」とか「〇〇しなさい!」って答えを押し付ける。

これで考える力は育たない。

 

自ら答えを出させる為に、「なぜそう思うの?」「なんでそうするの?」っていう、その考えに至ったプロセスの確認と、その先に自ら正しい答えを出させて、その定着をさせないと生きる力は身につかない。


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人間の精神世界は本来不可侵の領域で、その精神世界で決めた事が見える行動になって表れている。

 

その本来、不可侵な領域を侵されて起こさせられている行動は、ある一定の思想的自由を得た年頃になって、きれいに忘れ去られる。

 

小学校で教わった事の多くが大人になるとできないのが、いい例だ。


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『元気よく挨拶をしましょう!』とかね?

大人が小学生とあいさつ対決したら、絶対に負ける(^^;)って思うでしょ?

 

これとて、「挨拶をしろ」っていう、ゴールだけを与えているからそうなっているだけなんだよ。

 

なんで挨拶するの?挨拶したら、あるいはしないとどうなるの?を考えないと「挨拶をする」という行為の意味がわからずに、思想的自由を手に入れた時にはしなくなっている。


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ちなみにふぁぁの考える挨拶の最終的な答えは、皆が幸せに生きる為。

 

そのマイルストーンとして、相手の存在承認がある。

 

人間がされてもっとも辛い〇〇は無視だ。

 

自身の存在がなきものとされる事は、人の精神世界を崩壊させる。

 

そして、その人がいなくなる事で自分自身が苦しい想いをする。


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そんな思いをしなくていいように、させなくていいように、相手に考えさせて答えを導き出させる力を与えていってあげてください。

 

『小さな苦労、小さな我慢を体験させる』

 

これはね、人生は良い時ばかりではない。という事を教える事。

 

長い人生の中で、一時も苦労をしないなんてことは絶対にない。

 

それは、どんな成功者や大富豪の下にうまれてもそうだ。

 

「限界効用逓減の法則」というものが人の中には、働いていて、人それぞれに「参照基準点」というものがある。


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???なに?それ?どういう事?

 

人は過去の経験によって作られた価値基準って言うものがあって、それより上だと満足するし、それより下だと満足できない。

 

慣れたものに対して、満足感を感じなくなる傾向を人はみな持っているっていう法則の事だ。

 

例えば、おいしいものばかり食べて毎日過ごしてた人に、スープとパンだけの質素な食事を与えたら、それに満足しないでしょう?でも、ホームレスの人にしてみれば、その質素な食事はごちそうになる。


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同じ事象でも、人によって感じる事は違うから、同じ事象でも幸せにも不幸にもなれる。

 

またどこかで話すけど、つまり、どんな環境下に置かれていても人は悩み苦しむ事があるよって事だ。

 

だからこそ、『その上手くいかない時間、思い通りにならない時間』に腐ることなく、成長して、その状況を打破しようとする姿勢を身に着けなければいけない。

 

その為に、小さな我慢や小さな苦労を経験的にさせないといけない。

 


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ふぁぁやもぁが、なんでもかんでも君たちが欲しいと言ったときに買い与えなかった理由はここにある。

 

経済的には買えたよ。

君たちが欲しがる程度の数百円の消しゴムだのおもちゃだの。

 

ただ、それをほいほい与えると君たちがバカになるし、この先を生きていく上で、つらい思いをするようになるから与えなかっただけの話だ。

 


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だから、これから先、どんなに君たちが社会的に成功しても、舌を肥やすような事はしてはいけない。「eat poorly、think richly」の精神で自身の幸福感が高められる状態を維持しなさい。

 

 

『個性を大切にする』

 

これが日本の教育には著しく欠けている。調和を重んじる民族であるが故の性のようなものなのだろうが、教育とは本来、人が幸せに生きる為のもの。

 

それなのに、全ての人に国語、算数、理科、社会が必要かと問われれば答えは「No」だとふぁぁは思う。


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限られた人生、時間の中で、なぜ興味も関心もないものに時間を割かせなければならないのか?

 

どちらかというと、一部の統制を図る側が都合よく統制が図れるように育てられているようにしかふぁぁには思えない。

 

子供たちを取り巻く環境も大きく変わった時代の中で、今なお同じ方法がとられている事自体に違和感しか感じない。


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種の起源』で有名なダーウィンは、幼少期に他の科目には目もくれず生物観察だけをしていた。後にケンブリッジ大学で生物化学を専攻して金字塔を立てた。

 

近いところだと、スティーブジョブスも受験秀才でもなんでもなく、どちらかというとドロップアウトしたとされている背景をもつ。

 

他にも多くのノーベル賞受賞者が、同じように一つの事にのめりこんで、世の中に良い影響を及ぼしている。


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彼らは、自己実現の先に社会貢献という欲求にたどり着いた人達で、自身の命の時間を投資して、自らも幸せな時間を過ごしつつ、社会に貢献を果たした教育の従来の意味を体現した人達だとふぁぁは思う。

 

日本という同調バイアスのかかりやすい環境があるからこそ、その構造をしっかり認識して、自身や自身の命の時間を何に使うのかを見極め、学びを深め、そして、君たちの大事な人たちにそれを伝承して行ってください。

 

ふぁぁより

職業人としての心構え


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ゆうたとひなへ

 

君たちがどんな職業につくか、あるいは、既についているかもわからない。

 

でも、ある年のダボス会議で今生まれる子の65%が今ない職業につくでありろうという報告があった。

 


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すごい事だね。

 

ふぁぁは、ワクワクする♪ヽ(´▽`)/

 

君たちがまだ幼い頃、ふぁぁは介護施設や病院で働いていた。

 

これを書いている今もその領域にいる。

 

この中で得た気づきから、築いた価値観を少し記しておきたい。

 

医療や介護は、誰もが避けて通れないライフイベントだ。


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君たちも病院で産まれた。

 

その誰もが世話になるサービスは、日本文化に照らし合わせると、売り手と買い手のポジションが逆転したやや珍しい商いだとふぁぁは思う。

 

多くのサービス業界では、ものやサービスに関する売買が発生した時、売り手が買い手に頭下げて、取引が終了する。


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スーパー、コンビニ、レストラン。

どこのお会計でも、「ありがとうございました。」って見送ってくれるでしょ?

 

あれ。

 

ところがどっこい、医療や介護の世界では、この構造が異なっている。

 

病院の診察室じゃ、診察を終えた患者が頭下げて出ていく。「ありがとうございました」って。挙げ句フロントに金おいて帰る。

 


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介護の世界は、どうか?

もっとすごい。

 

食事用意したら「ありがとう」、部屋掃除したら「ありがとう」、本当は受けたくもないであろう入浴や排泄の介助したら「ありがとう」…挙げ句、去り際に栄養ドリンクなんかくれたりする(^_^;)

 

いや、「お代ちょうだいしてまっせ?」

なんて言っても、一度出たそれは、絶対に引っ込まない。


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なんともありがたいお仕事なのだが、これにふんぞり返る残念な心持ちの人がいるのも事実だ。

 

商いとは基本、売り手と買い手の価値に対する一致という合意形成が前提で成り立つ。

 

それ故、本来、双方の間には上下の関係は存在しない。

 

にも関わらずだ。

 

過度な権利意識が働いて、買い手が売り手に対して横柄な態度をとるケースが散見される。


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多くの場合、売り手は他に選択肢もある中でうちを選んでくれてありがとうって想いで頭をさげてるんだろう。

 

 

医療や介護の場合はどうか?

 

この領域は、自身の身体がサービス需給の対象で、ネットショップでお買い物という訳にはいかない構図がある。

 

それ故、世話にならざるをえないという相手の弱みを握った商いであるという特性をもっていて、かつ、売上の7割から8割が全国民が支払ってくれている保険料で担保されている業界特性がある。


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この特性がどんなにすごいことか、パッとはわからないかもしれないけど…

 

例をあげると本屋が年間100~200店舗閉店に追い込まれるんだよね。

 

そして、その店舗達の万引き被害額と赤字額が概ね一致する。つまり、本屋は万引きによってつぶれているんだよ。



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ところが医療や介護は、仮に全ての患者、ユーザーに万引きにあっても7~8割の売上が保険報酬としては入ってくる。

 

こんな商いそうはない(^_^;)

 

この売り手優位の構造が、相手を我慢をさせてしまう事に対する感覚を麻痺させてしまい、身体の部品修理をする者にしていっちゃうんだよ。


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誰もができる仕事じゃないのに、その価値を損なわせてしまう、世にも恐ろしい構造をしている((( ;゚Д゚)))

 

 

世の中には、沢山のお金の集め方がある。


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就労、株、不動産。

それぞれ、人、金、土地。

何を働かせているかの違いがあるだけ…

 

それでも、他者の生活を直接的に支える社会貢献度や人との関わりで自身の人生を直接的に豊かにする性質を持つ就労収入が最も尊いお金の色をしてるとふぁぁは思う。


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そして、その就労に更なる価値を与えるのは、感謝、真心、恩返しといった、他者に向けた「おもいやり」。

 

自身のコントロール出来る精神世界でそれはいとも簡単に受給も供給できるはずの事なのに、多くの人が、今、隣にいる名前も知らない人の世話になって自分が生かされている事を忘れ…

 

そして、流される…

 

自身を見失わないよう、俯瞰視する鷹の目を養いなさい。

 

君たちは、名前も知らない誰かが全うする役割のおかげで生かされている。


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感謝の念を抱いて自身を社会に投資しなさい。

 

君たちがもっともっと貢献してできる未来をふぁぁは楽しみにしている。

 

ふぁぁより

夢の叶え方、手放し方

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ゆうたとひなへ

 

今、君たちには何か夢と言えるものがあるだろうか?

何かしら持っていてくれるとふぁぁも嬉しい。

 

ただ、夢ってね。

どんな人でも叶う夢と叶わない夢がある。

 

例えば、みんなが大好きなディズニーランド。

ディズニーを作ったのはウォルトさんだね。


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けど、彼は生前にディズニーワールドを見ていない。

 

たくさんの人に夢や元気を与えてくれている世界が賞賛するテーマパークだけど、生みの親である彼は、その存在自体を見れていないんだよ。


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大概どこの学校にもあったモナリザも、バルセロナサグラダファミリアダヴィンチは完成させられる事なく世をさっている。

 

つまり世界のどんな偉人でも叶えられた夢と叶えられなかった夢がある。

 

それは、人の命に限りがある以上、夢を持ち続ける人にとって不可避な事。

 

夢をもっていると充実した人生を送れる。

けど、最後は自身の中じゃ叶わない。

少し残念な真実。


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もう一方で、実は毎日叶えている夢もあるんじゃなかろうか?ってふぁぁは思う。

 

家族でご飯食べたり、映画みたり、休みの日には昼間からビール飲んだり。

 

大小あれど、夢も日々の選択のある日常も、叶えたいと思っている同じ人間の欲求。


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失うもの、叶わないものを数えると心が下を向いて、得られた、叶えられたはずの何かもこぼれていく。

 

今、かなっている夢はなんだ?

そして、その周りにいてくれるのは誰だ?

 


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その人達への感謝の念を持ち続けていれば、夢を叶えたまま人生を終える事だってできる。

 

夢はいくつあってもいい。

大きくても、小さくてもいい。

 

手放した夢、叶わない夢があることで君たちは決して不幸にならない。

 

共に夢を叶えてくれる目の前の人達に感謝し続け、心を上に向けて日々を重ねてください。

 

ふぁぁより

 

人口減少社会をどう生きるか


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ゆうたとひなへ

 

これを読んでいる時、日本の人口減少には歯止めがかかっているだろうか?

 

2020年11月現在、日本の人口は着々とその数を減らしている。今は約1億2650万人。

 

前年比で約40万人減少していて、2015年からこの傾向は続いている。

 

世界で11番目の人口規模だが、ふぁぁがその統計をみだしてからも2ランク落としている。


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世界的には人口は増え続けているから日本で起こっている事は、世界のトレンドとは逆行している。

 

この日本独自のトレンドの背景には少子高齢化という社会問題があって、作っては捨てるを繰り返す過度な経済資本主義が長く続いた末におきた。

 

多くの人々が自身の生活しか守れないと考えるようになった故の副産物だとふぁぁは感じている。


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ただ少子高齢化や人口減少が必ずしも悪だとは、ふぁぁは思わない。

 

ただ、そこで未来に不安を抱き、ネガティブな思想が広がってしまう事は不幸だとは思う。

 

多くの人が幸せを感じながら過ごせば良いのであって人口減少は個人の精神世界にとっては外的要因、条件でしかなくそれを確定する〇〇に値しない。

 

質×量で決まるGDPも下がるので、国際的にも日本はマーケットとしての魅力を失っていくわけだが、それも見える世界で起こっているだけの事。

 

肝心なのは、そうした背景でも幸福を感じられる自身であるか否かだ。


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とはいえ、のほほんとしてて良いわけでもない。

 

ろくすっぽ住むとこない、着るものない、食うものないで、ただ思い込みだけで幸せになれっていうのは乱暴だってふぁぁでもわかる。

 

そう。個人レベルでは、ちゃんと対策たてていかないと悲しい思いをすることになる。

 

だから、まず何が起きているのかをちゃんと俯瞰的に見て認識をするところから始めよう。

 

今のこの国は、戦時中と同じような社会病理的な心理規制が働いているとふぁぁは感じている。

 

「もう何言ってるかよくわかんないよ?」

ですよね。はい。説明します(^_^;)

 


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戦時中、日本は敗戦濃厚になった。

それに対して後退戦を進言するリーダーもいた。

 

でもそのまともな事を言っている人の意見は踏み潰された。

 

「何を言うか、この非国民めが!我が国が負けるわけないのだ!」ってね。

 

今も政治家がその手の事に言及すると本質的な議論ではなく、重箱のすみっこつつくような揚げ足とるのよ。


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例えば「女性が子供を生まないから…」とかに対して「女性は生産のための道具じゃない!」とか「男女差別だ!」とかいってね。

 

大事なのは本質的な議論をする事なのに、その議論を踏み潰して、考えないようにしてしまう。

 

配慮のない言い回しに問題を感じるのももっともなんだけど議論の核心はさけて「非国民めが!」って言ってた人達とどう違う?

 

変わらないでしょ?ってこと。


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みんなが爆弾落ちてくるのを待ってる。

戦時中、爆弾落ちてきてる最中、テーブル囲んで、「さて、これは誰の責任?」なんて議論しない。

 

「とにかく逃げろー!」ってなるでしょ。

 

そのタイミングを待ってる。

誰の責任にもできなくなるタイミングを。

みんなでね。

 

それ自体は集団心理なので一人の価値観で動かせる代物ではない。

 

ただ、そういう事が起こっているとわかってれば、自身の行動をどうコントロールするかは変えられる。


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どれだけ自分の頭で考えて、具体的な準備をしてきていくかで自身の未来が変わってしまう。

 

だから日々学び、考え、行動に移す癖をつけていきなさい。

 

学びは情報を正しく受けとる自身の軸を作る。インターネットが普及して、誰の校閲も入らない情報が出回り、それ以前の約500倍もの情報が個人に入るようになった。

 



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そのなかにはたくさんのフェイクや誰かを傷つけるかもしれない配慮を欠いた発信も転がっている。

 

それをきちんと見極めて判断できる軸を学びの中で養いなさい。

 

考える事で自身が起こすべき行動の指針ができる。

 

学び得た情報をただインプットして終えるのではなく、自身の中で噛み砕いて、何を行動として移すべきなのか、アレンジしなさい。

 

そして、行動にする事でなにかしらの変化を自らが起こす。これができなければ結論何も変わらない。ただ流されてただけの状態より、さらにひどいとさえ言える。

 


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人口減少社会に加えて、一度におきた情報革命で、誰も予測しえない未来が広がっている。

 

その中でも、ただ流されるではない自らの人生をしっかりと掴んでほしい。

 

ふぁぁより