成長に必要な4つの階段
ゆうたとひなへ
君たちは今、どういう経験を背景に今日まで生きてきただろうか?
もぁの愛情とふぁぁの適当さの間で、また、友人や先生との関係の中で、いろんな事を身に着けながら、成長を重ねてきていると思う。
ただ、成長とは一体なんの事を指すのか?
この定義は意外とあいまいなまま使われている。
伸びる事とか大きくなる事というようなイメージは誰にでもつくだろう。
身体的に背が伸びるとか、体重が重くなるとか、見える世界における成長は現代では、あまり多くは語られない。
成長を語る時、それは、どちらかというと心の在り方や知識、人の内面的な見えない世界に対して語られる事の方が多い。
それ故、人それぞれに定義は違うと思う。
でも、ふぁぁは「成長」とは、「自己」の「質(たち)」を伸ばす事と定義している。
そして、人は、死ぬまで成長し続けられる。
そんな風に思う。
生物である以上、どんな人も背が伸びるとか、筋力がつくといった身体的な成長はどこかで高どまりする。
でも「心」にそんな事あるのかな?。
人の持つ精神世界はどこまでも伸ばせる。
そう考えている。
そして、みな、それぞれに違う遺伝子をもって、得手不得手が少なからず存在する。
不得手な領域を伸ばしていく事はもはや苦痛でしかないだろう。
だから、得意な事。
自然な自分の延長でその枠を超えていく事が望ましい成長なんではないかなとふぁぁは思う。
その方が「成長=幸福」という図式が成り立ちやすい。
ただ、得意な領域においても、成長をする時、必ず人は痛みを伴わないとそれは心に残らない。
そんな痛みを伴っても、全ての努力が必ず実って成功につながるとも限らない。
それでも成長が幸福につながらなければ、成長に向けた努力自体が報われなくなる。
そんな思いでふぁぁは、成長を「自己の質(たち)」を伸ばす事と定義している。
誰かが用意してくれる正しい答えがあるわけではない。
何をもって成長かという画一的な答えはない。
一方で、ふぁぁは、成長に順番はあると思っている。
④無意識有能
③有意識有能
②有意識無能
①無意識無能
START
この順番だ。(階段っぽく見えるかな?)
①無意識無能
何にも気が付いてないし、意識もされていない。だから行動も起こさない状態。
②有意識無能
何かに気が付いたけれども、行動には移せていない状態。
③有意識有能
何かに気が付いて、それを行動に移せている状態。
④無意識有能
何も考えなくとも、それが自然と行動に移せている状態。
例えば、いつの頃か、家事をやるようになった事を覚えているだろうか?
ふぁぁは、最初、そこに課題感を感じてすらいなかった。
これが、①の無意識無能の状態。
ところが、それを気づかせるような事が何度か続いた。
いつも、自分のパンツがない事やふろ上がりのバスタオルがなかったり・・・
ゴミ庫はいつもいっぱいだったり・・・
カクテルパーティー効果やカラーバス効果と呼ばれる心理的なトリガーで、ひとつの気づきは、目的を帯びて次の気づきを与えていき、よくよく見るといつも部屋が散らかっている事にも気が付いたりした。
最初はそれにイライラしてた。
君たちやもぁの事を責めるような気持ちも持っていた。
これが②の有意識無能の状態
ただ、その君たちに向けていた心の指先を自らに向けて、自分でそれをやるようになった。
「そんなコントロールしようがない事を考えてないで、自分が変わればいいんだ…」
ってね。
君たちの事もあれ手伝って、これ手伝ってとちょこちょこお願いしたりもしながら、自分でその課題を解決するようになった。面倒くさいな・・・と思いつつ。
これが③の有意識有能の状態
気が付くと何のわだかまりもなく、外から帰るとすぐ洗濯機を回したり、食器洗いをしたり、ゴミを捨てる事から始めるようになっていた。
これが④の無意識有能の状態
この行動と心の変化の過程では、「なんでこの子たちはとっちらかして、そのままでいられるのだろう?」とか指先を君たちに向けている時期もあった。
けど、その都度、「自身ができる事はなんだ?」と自身に問いかけながらも、親として君たちに考える力を身に着けてもらう為に「なんで?」と問うようになった。
ふぁぁは、それを家政婦さんに頼む選択だってあった。
でも、ふぁぁの君たちの「父」という「質(たち)」を考えた時、生産性は低くとも自らがやる事に意味があると思った。
成長ってなんだか大層なもののように聞こえるけど、ドラマのような劇的な展開の先にある経験値によるものではない。
いつも日常にあふれている。
この構造がわかっていれば、気づかないと始まらない事が理解できると思う。
高いアンテナや欲求こそが、成長の入り口。
そしてよく覚えておいて欲しい。
この変化が君たちの中で起こる時、それは周囲にも影響を与える。
そして、それは、君たちにとって望ましい変化とは限らない。
君たちが②の段階に入って、③の段階に移ろうとした時、周囲は必ず③から②へ、②から①へ連れ戻そうとする。
その人達は、君たちが②③のステージに行った事で否応なしに①から②に引き上げられる。
人間は、意識していなければいけない状態の②③を「不快」に感じるから、そこから「快」の方①に連れ戻そうとする。
変化を嫌がるの。
いつもの状態が楽。
そのままいた方が心地いいから。
④の領域まで行ってしまえば、何のことはないのに、そこまでの変化をするのは大変だから、手っ取り早く、目につく君たちの足を引っ張ろうと「快」を取り戻そうとする。
「やめとけ、やめとけ」「どうせ時間の無駄だから」ってね。
彼らは君たちを見ていて自分が苦しくて仕方がない。
そして、君たちが違うステージに行ってしまうのを妬み、おいていかれる不安に取りつかれる。
彼らの話に耳を傾けて、階段を下りるのか、たしなめながらも階段を上るのかは、君たちの心が決めればいい。
ただ、自身が成長を志した時、みんながそれを喜んでくれるなんて思わない方がいい。
周囲でそういう動きが起こる。という事を知っておいて欲しい。
それを知っているだけで、心を下に向けず、どう対処するかを考える事ができるはずだから。
何度この階段を上り下りしてもいい。
ずっと階段を上り続ける事が君たちの人生において価値のある事ではない。
降りてしまっても、また、上り始めるプロセスが君たちの人生を豊かにしていくから。
君たちが何度も上り下りをして、豊かな人生を送ってくれる事を心から願っている。
ふぁぁより