ふぁぁのブログ

父が子に贈る人生において大切な〇〇

生と死の相関

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ゆうたとひなへ

これを読んでいる時、まだ、ふぁぁは生きてますか?

ここでは、君たちが生まれた瞬間に手にした「死」という機会に触れておきたい。


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ちょっと危ない考え方かもしれないけど、ふぁぁは死ぬことに対してあまり抵抗がない。

 

だからといって自殺願望があるわけでもないし、好き好んで死のうとかは考えてない。

 

誰かに「じゃぁ死ね」と言われても、「はい、わかりました死にます。」とは言わないし、実際、死なない。

 

ただ、みんながするように、忌み嫌うものとしてはとらえていない。っていう意味。

 

「死」は「生」と背中合わせのもの。


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生まれたら、死ぬ。

 


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たぶん、私たちすべての人間に与えられた唯一無二の均等機会だと思う。

 

生まれる時代、性別、地域、肌の色、与えられた時間・・・違いを数え上げたらきりがない。

 

誰一人として平等なんてことはあり得ない。

 


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でも、みんな生まれたら死ぬ。

 

 

これは不変のものだ。

人はみな生まれるという機会を得た瞬間に、死ぬという背中合わせの機会を得ている。

 

では、「生きている」とはなんだろうか?

 

ご飯を食べている事?

会社や学校にいっている事?

趣味にいそしんでいること?


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24時間、365日私たちは生きているんだろうか?

それが「そうだ」という回答であるとするなら、それは本当?

 

いつかも語ったが、世界は誰がいようがいまいが回っている。

 

今、ふぁぁが死んでも、世界は何事もなかったかのように回っている。


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では、自我の世界はどうか?

 

24時間365日「生」を実感しながら生きている?いや、ねてる時は、無でしょ?

 

なんなら毎晩。

 

その時、傍から見れば、いびきかいて寝てるだけで、脳も心臓も動いている。


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でも、自身の意識はない。

 

死とは、その延長に永遠に起きないという条件が付いただけの状態を指している。

(「永眠」とはうまく言ったもんだ。)

 

つまり、私たちは、毎晩、死の疑似体験をしている。

 

って考えると、そんなに忌み嫌うものではない。



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ただ、残された愛情を注いできた者たちとの別れや注いできてくれた人たちとの別れが少しの間さみしいだけ。

 

 

でも、それとて、これまで生きてきた中で、私たちは何度もそれを経験してきている。

 

祖父母と死に別れ

小学校時代の友人や先生と卒業と共に別れ

恋人に振られて別れ


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って具合に、何度も喪失を繰り返してきたはず。

そして、それは、同時に新しい出会いや機会の獲得になっていた。

 

人間には、忘れるという素晴らしい機能がついていて、ずっと悲しいなんてことも、ずっとさみしいなんてこともない。


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むしろ、限りある儚さがあるからこそ、「生」をより充実したものにしようとふぁぁは考えながら生きている。

 

この考え方をいつだったかもぁに話したけど、全く理解されなかった。


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10年共に過ごした夫婦であっても答えは違う。

正解なんて、自己の世界でもっていればいい。

 

でも、それについて深く考える事が大事だ。

物事の本質が見えてきて、それに振り回されずに自分の人生を生きていける軸ができるから。

 

生をよりよくしようとするから。

 

自分なりの死生観を築き上げて、死の対極にある生を価値あるものにしていってほしい。

 

ふぁぁより

 

 

PS:ついで言っておくとふぁぁが死んでも、過度に悲しんだりしないでほしい。

ふぁぁにしてみれば、魂が肉体から解放されて、もっとも自由になった瞬間だとふぁぁは思って死んでいってるから。